夕餉と坐禅。


昨日は中野の「くらしのアトリエひらや」さんで行われたで「夕餉坐禅(ゆうげざぜん)」というイベントに参加してきました。精進料理に似たマクロビオティックのお食事=夕餉をいただいてから、みんなで坐禅、というものでした。

去年、ご縁あって福井県の永平寺に行きました。そこであのピンと張り詰めた空気と、背筋が伸びる感覚、内側から清められるかのような美しさに心を動かされました。「生きる」ことや「自他と向き合うこと」に背中を押された感じがして、とても自分の心に響く場所だったのです。そこで坐禅の体験をしたのですが、短い時間だったのでもう少しやってみたいなあという気持ちがずっと残っていたのです。それと、永平寺が精進料理で有名な場所だったことから、旅行後に「禅と食」という本を買い求めて、その本に倣って自分で朝おかゆを炊いて、少しのお漬物だけをおかずにしてゆっくりと「食」、そして「自分」と向き合うなんていうことをするくらいには、禅というものに心をガッチリと掴まれていたのです。(どちらかというと「食」かもしれませんがそれは置いておきます笑)

今まで瞑想にしても、おかゆを朝ごはんにいただく事にしても、すべて一人でやってきたのですが、今回はイベントでしたので10人以上がいる中でのことでした。たくさんの人がいるのに、お食事中はお話をしませんし、坐禅中ももちろん無言です。人がいては気が散ってしまうかと思いましたが、意外と集中することもできましたし、他者がいるからこそ自分が際立って、そして逆に、自分がなくなっていく感覚もあるのです。みんなで同じことを同時にしているようで、バラバラで。違いがあるのに、なぜかここにいる。気になったり気にならなかったり、簡単と難しいがコインの裏表のようにくるくると回って、そのどちらでもあってどちらでも良いのだと、定まらない気持ちを肯定してくれる心地よい空間でした。

 

夕餉で食に向き合うこと。
目の前の食事のその先に向き合うこと。

坐禅で自分に向き合うこと。
人や空間、ご縁に向き合うこと。

1つ1つを紐解いていくと、当たり前のことが本当に奇跡なんだなと思わざるを得ないのです。

自分が存在すること。
友達がいること。
大切な人がいること。
愛せる人がいること。
そして、環境やご縁。

目の前にあるひとつひとつが奇跡であり、日常なのです。

前から意図して時間を作ろうとしていたのに、最近また忙しさにかまけて自分に向き合う時間を作れていませんでした。自分に向き合う時間があることが当たり前のはずなのに、日々の生活にいっぱいいっぱいになってしまって、すべてがマルチタスクになってしまっていました。グラウンディングや瞑想も、毎日はできていません。キャンドルを灯してゆっくりとお風呂にも浸かりたいのに、シャワーで済ませてしまったり。ごはんもあるもので済ませてお料理が疎かになっていたり。その余裕のなさや、自分に向き合えず大切にできていないことが、イライラの原因になっていることはよくあるんですよね。余裕のない昨日までから引き戻して、自分を大切にして満たしていくことを改めて教えていただけて、また自分を見つめ直す区切りとなりました。本当に素敵な空間でありイベントでした。主催のコーさんありがとうございました。参加された皆様にも心からの感謝を…。

今回私が体験したのは、坐禅や夕餉で自分自身やお食事にその一瞬一瞬で向き合うことでしたが、これは恋愛や結婚にも言えることですよね。

相手に対して、
ちゃんと向き合えているかな?
気持ちに耳を傾けているかな?
今、なにがして欲しいのかな?

自分のことも、
意見をちゃんと伝えられているかな?
我慢をしていないかな?
本当はどうしたいかな?

そう思ってふわっと優しく大切にする気持ちがあると良いのでしょうね。相手を思うことも、自分の気持ちも、どちらも大切なのです。どちらかに偏ることなく、中庸であることが大事だと常々思います。ただ、それが簡単にできれば苦労はしないのですが。笑

日常に奇跡を見出せば、毎日が奇跡の連続なのです。
日々、感謝をしてまいりましょうね。

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