人に誇れるもの

そういえば、昨日妹ちゃんとお話ししているとき。

私がいま音楽活動もやりながら占いとヒプノセラピーをして、結婚相談所を立ち上げたという話をしたのですが、それを聞いて妹ちゃんが「いいなあ、手に職みたいなことが何もない。ひとに” 私はこれができます ”って言えるものがひとつもない」というようなことを言っていたのです。同じことを考えている方って結構多いと思うのですが、いかがでしょう?

概して人は「自分の得意なこと」というものは当たり前にできてしまうので、それがいかに素晴らしいことか、気づくことができないでいることが多いのです。妹ちゃんにそう言われた私自身、確かに珍しいことばかりいろいろをやっているので側から見たらそう思われるのかもしれないですが、胸を張って言えるかといったらそうでもないのです。

ただ好きでやってるだけだから、言われるほどではないよな。この程度で「できる」といって良いのかな?もっとすごい人が周りにいるしな…。できると言って、間違えたり失敗したら恥ずかしい。などなど、そういうこと、結構思ったりしてしまうものです。

でも、考えてみてください。上に書いたことは「誰か」と「わたし」を比較しているから出てくる言葉なのです。ですが、その「誰か」と「わたし」を同じ土俵にあげて比較する必要はあるのでしょうか?というか、そもそも比較ができるのでしょうか?

全く同じことをやっても、物事は人となりが出ます。お掃除が得意だとしても、クローゼットの整頓が得意な人もいれば、拭き掃除でピカピカにするのが得意な人、水回りなら負けないという自信のある人と、ちょっとずつ差が出てきます。おしゃべりが得意だとしても、笑わせるのが得意な人、話を広げるのがのが得意な人、ひとに興味を持たれる話し方が得意な人という感じに違いが出ますよね。その人が今までしてきた経験や、持って生まれたもの、本人の考えなど、いろいろなことが複合されて表現されるので、何ひとつとして他の誰かと同じことなんてないのです。だとすれば、そもそも同じ土俵に立っている訳ではないはずです。そこに優劣は存在しないはずなのです。誰かと比較する必要がありますか?
もし誰かが「あなたより他の人の方が優れている」というならば、それはその人の価値観や意見でしかないので、「あなたはそう思うんだね」と思うだけで良いのです。逆に「あなたは素晴らしいね」と、あなたの良さに気づいてれる人が必ず現れます。

私の妹は、子供の頃から動物や子供に対してとても優しくおおらかで、いつも慈愛の眼差しで見つめ、甲斐甲斐しく楽しそうにお世話をしているのです。彼女にとってはそれが当たり前のようで、それが素晴らしいことに気づけていないのです。私も動物や子供は好きですが、なんというか相手に対する気持ちや行動の”質感”が違うような感じがします。彼女ほどの慈愛の気持ちを持って接することができる人はなかなかいないのではないでしょうか。なので、身近な存在ではありますが、彼女のことを尊敬していますし素晴らしいと思っています。うーん、今度ちゃんと言葉にして伝えてみようと思います。笑

自分の得意なことに気づけない方は、子供の頃からなぜだかわからないけれど楽しかったことや、ひとに喜ばれたりして嬉しかったことを思い出してみてください。そこにはあなたの本質が眠っているはずです。自分の得意なことを誰かと比較しないで、楽しい気持ちや満たされる気持ちを大切にしてみてください。きっと自分に対して誇らしい気持ちになれれば、純粋な気持ちで「私はこれができます」と言えるようになると思います。カウンセリングでもご自身の得意なことや、本来持っているものを引き出すお手伝いをしております。それに気がつけると、キラキラ輝くあなたが出てきますよ!

自分の素晴らしさに蓋をしてしまったり、目を逸らしてしまったりしないようにしてくださいね。

今日は春らしい頂き物をしました。ありがとうございます!

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